昨年6月の日本選手権男子砲丸投で18m78の日本新記録を樹立した畑瀬聡。
32歳での18mオーバーは日本人で初の快挙だ。
9年ぶり自己記録更新、そして6年ぶりの日本記録奪還を支えた畑瀬の食事改革に迫った。
──記録を伸ばすために必要なカラダとは?
投てきに限らずアスリートが強いパワーを発揮するためには、筋力だけでなく、重力に対して地面から跳ね返ってくる力(地面反力)が必要なんです。体重が重ければ重いほど、大きな地面反力を得られます。
同じ投てき種目の円盤投、ハンマー投、やり投は、投げる物が体から離れたところにあるため遠心力を使って遠くに投げることができます。ところが砲丸投の場合は、砲丸を首の付け根のところにセットすることがルールで決められているので、遠心力をあまり使えないんです。その分、砲丸投は体重の影響が一番出やすい種目なんです。
記録を更新してきたライバルのカラダを見ると、やっぱり大きくなったなと感じることがありますね。僕も最近は、結構そう言われるんです。砲丸投の選手はみんな、食べて体重を増やすことに必死だと思いますよ。
──体重を増やした方法は?
体重を増やす方法は一つしかありません。食べることです。僕にとっては食事もトレーニング。それはどんなトレーニングよりも、はるかにキツイです。(日本記録を更新した昨年は)5月初旬に116キロだった体重を、6月下旬の日本選手権までに120キロ台にすることを目標にしました。逆算すると毎日100グラムずつ増やせれば目標体重に到達するという計算でした。
まず3食、苦しくても必死で腹いっぱい食べます。主食のご飯は茶碗ではなくラーメン丼に盛って1食につき2合、おかずの量も1〜2品増やして、タンパク質、カルシウムとビタミンをたくさん摂れるようにしています。そして、プロテインを1日4回、水に溶かして流し込む。
僕の場合は、寝る前に体重計に乗るんです。もし目標通り100グラム増えていなかったら、パスタやおにぎりなどの炭水化物(糖質)を食べてから寝ました。そうすることで、121キロで日本選手権を迎え、9年ぶりの自己ベスト更新と6年ぶりの日本記録更新という結果を出せたのだと思っています。
──食事改革がもたらしたカラダの変化は?
最初に食事の質を見直したのは11年前。社会人1年目のときです。実はそれまでは、ただ好きなモノを好きなだけ食べていました。朝食は抜いていて、昼と夜は外食ばかり。そこで、まずは”1日3食”を徹底し、バランスの良いメニューを食べることから始めました。
すぐに表れた変化は、体調が良くなったことと、ケガが減ったこと。だから、練習の量と強度を上げることができるようになったんです。これは投てきの選手にかぎらず、どの種目の選手にも当てはまるメリットだと思います。
いい食習慣を続けることによって、メンタル面での変化もありました。自分は正しいことを続けているんだとうい自覚は、大一番に臨むときの自信にもなります。そのような積み重ねがあったからこそ、僕は今でもウエイトトレーニングの重量もアップしているし記録も伸びています。人間のカラダって本当に面白いですよね。今の食習慣はやめられないです。
──「増量」と「太ること」の違いは?
気をつけなければいけないのは、ただブクブク太って、瞬発的な力が落ちてしまうこと。体重を増やしながらも砲丸を押し出すための「動きの速さ」は維持する必要があります。
僕は速さを維持するために、跳躍やスターティングブロックを使ったスプリントをトレーニングに取り入れています。そのような練習はカロリーの消費量が多いので、同時に体重を増やすことは簡単ではありません。食事をたくさん食べるやり方では限界があるので、プロテインを飲んでいます。でも、プロテインを飲めばいいという話ではないんです。プロテインはあくまでも補助。基本は1日3回の食事の量と質。それを忘れないことが、とても大事だと思います。
──最後に、今後の目標と、目標達成のプロセスを。
これまでは日本記録を取り戻したいという一心でひたすら食べて体重を増やしてきました。今は、19mを投げたいという気持ちが強いです。そのために最も重要なのは、一切ケガをしないこと。そうしたら2020年以降の大会まで行けるかもしれないと思っています。
はたせ・さとし◎184cm・121kg、1982年12月18日・佐賀県生まれ。2015年の日本選手権で、6年ぶりの日本新となる18m78を投げ、4年連続9度目の優勝を飾った。32歳以上で18mを超えたのは日本人初。博多工高3年時の2000年インターハイで、高校新記録の19m57(12ポンド;5.443kg)の快投を見せた。同年は世界ジュニアに出場し、高校生ながら日本選手権で2位に入った。日大1年時にアジアジュニア5位、2年時には日本選手権を初制覇、アジア大会7位。4年時の04年には日本人2人目の18mプッターに。06年の日本選手権では、当時日本記録の18m56をマークして優勝。07年の日本選手権も制し、地元開催枠で大阪世界選手権に出場した。14年の日本選手権では18m50と、8年ぶりに18m50台に乗せた。
※この記事は、陸上競技マガジン2015年10月号掲載記事を再構成したものです。
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