今年4月、伝統のボストン・マラソンで初マラソン3位の快挙を果たした大迫傑(おおさこ・すぐる)。その挑戦を通して、強者の思考を探る。
「今の自分にとって、東京オリンピックが1つの明確なゴール。でも、正直に言うと、東京オリンピックでマラソンを走るかどうかはまだ分かりません。ただ、長距離をやっている以上はマラソンに挑戦したい。非常にメジャーな種目ですし、そこで結果を出したい」
今年2月のインタビューで、日本長距離界のエース・大迫傑(ナイキ・オレゴン・プロジェクト)は、こんな言葉を口にしていた。
その約2週間後のことだった。
“大迫、ボストンマラソン走るってよ”
自身のSNSで、大迫は突然初マラソン挑戦を表明したのだ(@sugurusako)。それも、舞台に選んだのは、ワールドマラソンメジャーズの1つに数えられ、120年超の歴史を誇るボストンマラソンだった。
「日本のメディアの目がないところで初マラソンを経験したいと思っていました。タイムとか、こんな走りが求められているとかを気にせずに自分の走りがしたかったからです」
ボストンへの出場は、ピート・ジュリアンコーチと話し合って決めたことだが、こんな理由があったところにも、“自分”を貫き、己の道を切り開いてきた大迫らしさがある。
2月の香川丸亀国際ハーフマラソンを1時間1分13秒(6位、日本人2着)と好走したことで、コーチから初マラソンのゴーサインが出た。だが実は、昨年10月からハーフマラソンに向けて走る距離を徐々に延ばしていた。2020年の東京オリンピックに、マラソンでの出場も視野に入れている大迫にとって「(初マラソンは)そろそろかなと、ある程度は覚悟していた」ことだった。
そして、そのボストンで大迫は快挙を成し遂げる。初マラソンながら冷静にレースを進め、2時間6分台の自己記録記をもつジョフリー・キルイ(ケニア)やチームメイトでリオ五輪銅メダルのゲーレン・ラップ(アメリカ)と33kmまで優勝争いを展開。最後は2人に遅れをとったものの、30km以降にペースアップし、2時間10分28秒で3位に入った。ボストン・マラソンで日本人男子が表彰台に上がるのは、1987年に優勝した瀬古利彦以来30年ぶりのことだった。
「最後の5kmは足がつりそうになっていました。まずはゴールできたという達成感がありました。それに、世界のメジャー大会で入賞したのは初めての経験だったので、うれしかったですね」
フィニッシュ時には、クールな大迫には珍しく、両手を挙げて大きなガッツポーズを作って見せた。
4月のボストン・マラソンで力走する大迫(写真/アフロ)
大迫の強さは、狙った試合で外さないところに現れている。とにかく失敗レースが少ないのだ。今回の初マラソンも、そう言える内容だった。
自身が日本記録を持つ5000mでは、大学2年時以降、完走したすべてのレースで13分台をマークしており、高いアベレージを誇る。日本選手権ではなかなか勝てずいたが、常に優勝争いを展開してきた。そして、16年リオデジャネイロ・オリンピックがかかった昨年は、ついに5000mと10000mの2種目で優勝を果たし、五輪の切符をつかんだ。
「メインとなるレースに関しては、レースへの出場が決まった時から、具体的なレースプランを立てて、それを達成するために、自分には今どんなことが必要かを常に考えるようにしています。スタートラインに立つ1週間前、2週間前までにはすでに準備ができている状態です。レース前は、特別なことをしようと考えたことはなくて、ただ淡々といつもと同じことをやるだけです」
レース前は、取り立てて気負いのないように、20分間の軽いジョグ、そして動的ストレッチと、いつもの練習前と同じようにウォーミングアップをこなす。このようにして、「自分を冷静にさせる」ことが、本番で力を発揮するためには大事なのだという。
もう1つ、大迫が大切にしているのは、自分自身の体との対話だ。
「自分の体をレースの中でコントロールすることは、勝つためは非常に大切なことです。レース展開に関係なく、自分で自分のレースをコントロールするために、自分との対話を大切にしています。他人を意識してしまうと、自分に必要なものが見えなくなってしまうことがありますから」
レースやハードな練習をした後のケアは特に欠かせない。今年2月には、有森裕子や高橋尚子などのメダリストを多く支えてきた(株)明治とサポート契約を結んだ。高校時代から飲んでいたアミノ酸VAAMをはじめとするサプリメントも、進化のために自ら選んでいる。
「結果を出す練習を継続するためには、まずケガをしないこと。栄養管理もそうですし、体が常に健康であることが大事です。ストレッチもそうですが、自分の体にどんな反応が起きているか、常に自分と対話することは大切だと思います」
“当たり前”のことの積み重ねが、昨日よりも強い自分を作り上げていくことを、理解しているのだ。
自分の体と向き合いながら練習に取り組む(写真/㈱明治)
初マラソンのボストンも、大迫は“自分”を貫いて臨んだ。大迫がSNSで初マラソンを表明すると反響がものすごく、実際にマラソンを走った経験のある選手からは、アドバイスが送られてくることもあったという。
「自分は30km以降こうだったなど、いろんな方からアドバイスをいただきました。もちろん厚意で言ってくださっていると思うんですけど、人は人、固定観念を植え付けられるのが一番こわかったので、なるべく気にしないようにしていました。もちろん35km過ぎが大変なのは分かっていますが、それはどの種目に言えると思うんです。5000mでも10000mでも、ラストの400mはきついじゃないですか。それと同じ」
大迫は、単身アメリカに渡り、名門チームの門戸をたたいた陸上界のパイオニアだ。大きな瞳で見据える世界に近づいていくためには先入観や固定観念にとらわれることなく、自らの足で未知の領域に踏み入りたかったのだ。終盤にペースアップできたのは、レースがスローペースで進んだことも一因だが、この大迫の姿勢も大きかっただろう。
「自分のメーターがどれくらいなのかを知っておくことは非常に大事。マラソンでは、自分のメーターを振り切ってはいけない。トラックで活躍する自分がいても、それに固執せずに、距離に応じて臨機応変に自分を変えられると思いました」
ボストンで、大迫は確かな手応えを得た。今夏はトラックで世界に挑む予定だが「マラソンを走ったことはトラックにも生きる」と話している。6月11日には、ポートランド(アメリカ)での5000mで世界選手権標準記録まであと3秒(13分25秒56)と好走。今季も、トラックとロードで昨年以上の活躍を見せてくれそうだ。そして、2020年に向けて、2回目のマラソンではどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。ワクワクせずにはいられない。
文/和田悟志 写真/小山真司
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